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浦和家庭裁判所熊谷支部 昭和50年(家)412号 審判

申立人 岡部順一(仮名)

事件本人 岡部智子(仮名)

主文

埼玉県○○郡××町役場備付

本籍埼玉県○○郡××町大字××△△△番地の△戸籍筆頭者岡部順一の戸籍中長女智子(昭和一七年一月一六日生)除籍者の身分事項欄の死亡による除籍事項を消除して同人の戸籍を回復することを許可する。

理由

本件記録添付の申立書、東田やゑから岡部弥一郎宛の手紙、厚生省援護局調査課北方第二係からの書簡、事件本人の写真復写一通、事件本人岡部智子(李王華)から申立人岡部順一宛の手紙、昭和五〇年三月一三日付○○新聞(お父さん、お母さん今どこに中国で育つた日本人孤児中の李王華の記事)昭和五〇年四月七日○○新聞△△版中「やつぱり娘の智子だつたの記事」ならびに各戸籍謄本、家庭裁判所調査官白井昭の調査報告書等によれば次の事実が認められる。

一  申立人は昭和一一年二月二二日現役兵として満州国○○○独立守備歩兵第×大隊第△中隊に入隊し昭和一四年四月一四日現地で除隊した。

二  同人は除隊後の翌日である四月一五日奉天市内の関東軍野戦兵器廠に軍属として奉職し、昭和一六年一月事件本人の実母厚子と婚姻(届出は昭和一七年一月二四日)昭和一七年一月一六日事件本人を出産し、次いで同一八年六月二六日長男貞男を出産したが敗戦直前の同二〇年八月七日頃旧満州国東安省所在の○○駅の引揚げ列車内にいた妻厚子、事件本人らと会つたのが最後で旬日のうち終戦を迎えたが申立人は抑留され昭和二四年一〇月二四日単身で現住所に引揚げ今日に至つている。

三  そして引揚げ後妻厚子(昭和二一年一月二〇日死亡)長男貞男(昭和二〇年九月一五日死亡)の死亡事実をきかされたが事件本人の消息については当時有力な情報として事件本人については昭和二一年一〇月二八日引揚げてきたという東田やゑが引揚げてきた直後申立人の家族宛の手紙によると吉林省○○県△△△村××××に日本人の女の子供が三人いてその中の五歳位の女の子が事件本人であり現地人に引取られて生活しているというので日本赤十字社にその旨の確かな調査を依頼したところ事件本人は昭和二七年九月二〇日中華人民共和国吉林省○○県△△△村で死亡した旨の連絡を受けたが申立人は半信半疑であつたが昭和二八年四月一七日死亡届出をしたものである。

四  しかし申立人は事件本人の死亡が信じられず消息を調査していたところ昭和五〇年三月一三日付○○新聞で中国で育つた日本人孤児の親探しキャンペーンで事件本人が中国名李王華として生存していることを知り直ちに厚生省援護局調査課北方第二係に電話照会したところ「事件本人の消息については昭和四九年三月に引揚げた東京都江戸川区○○アパート××~△△△号に住む長谷川町子が知つている」とのことであつたので直ちに右長谷川を訪ね様子をきいたところ事件本人は中華人民共和国遼寧省○○市△△区××街○○委×××組△△棟○号に居住し長谷川はそこから二〇〇米位のところに住み一〇年来からの交際があり引揚げの時には事件本人から写真二葉を託されてきたということである。

五  そこで申立人は長谷川から教えて貰つた宛先に事件本人宛航空便で手紙を出したところ昭和五〇年三月三一日返信があり中華人民共和国遼寧省○○市△△区××街○○委×××組△△棟○号に居住しており中国名李王華は申立人の長女智子であることが判明した。

以上認定の事実によれば中華人民共和国遼寧省○○市△△区××街○○委×××組△△棟○号に居住する李王華は事件本人岡部智子であることが認められる。したがつて申立人の戸籍中死亡による除籍事項の記載は真実に反するものである。

よつて戸籍法第一一三条によりその訂正を求める本件申立を正当として認容し主文のとおり審判する。

(家事審判官 高野明孝)

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